【1998年11月(2)】
 その日は平日だったが会社を休み、朝から家内と二人で出かけていった。寺に着いて、早速過去帳を見せていただいた。私の曾祖父(源六)高祖父(秀蔵[秀造])までの記録はあったが、それ以前については、明治17年に「赤松山寿福寺」という天台宗の寺が廃寺になったため、梅松寺に移ったというような記録があるだけで、そこから先の記録は、ここにはないことがわかった。大内さんのお母さんの先祖については、系図(小畑土谷家)が残っており、その系図の写しを見せていただいた。また、墓場にも案内していただき、そちらの先祖の家紋の写真も撮らせていただいた。
 この梅松寺は、応永年間に建てられた寺で、南北朝時代の北朝の3代目後光厳天皇の第3皇女に由来する寺と伝えられており、大内さんの先祖もこのかたにお仕えする家だったのかもしれない。大内さんの先祖の土谷家の系図は、清和源氏にまで遡ることができる。
 この後光厳天皇の崩御から20年ほど後に、上記の土谷文書が書かれていることからも、この時期に、何らかの使命を持って、この地に住み着くようになった集団なのではなかったかとも思う。

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