【1998年11月(1)】
寺に訪問するまでの間、ホームページの検索、電話帳検索ソフト(写録宝夢巣2)、住宅地図、電子地図帳Z、などを使って、土谷姓、及びその他の「つちや」姓について、調べていった。そうした調査の結果、「土谷」は、「土屋」から分かれたという系図研究者の説は、おそらくそうだろうと思えるが、大分県の国東に「土谷」姓が特に集中するのには、何か理由があるに違いない、と考えるようになった。土屋姓は、1180年の源頼朝が兵を挙げたときの武将である「土屋宗遠」が始祖で、現在の神奈川県の平塚市の土屋村に住むようになり、それまでの「中村」姓から「土屋」姓を名乗るようになったそうだ。その後、室町幕府の将軍家にも仕えたりしたが、明徳の乱などのいくつかの争乱を経て、一族は衰退した。こうした時期と、国東に「土谷」姓が現れる時期が重なることから、南北朝の時代に何らかの理由で、近畿地方から流れてきたと思われる。その時に、本家の「土屋」ではなく、分家の「土谷」一族のみが九州に渡ってきたのかも知れない。
国東で「土谷」姓が文献に初めて登場するのは、永享9年「 土谷文書 」(1438年)。これは現在の真玉村の三畑に住む庄屋の家(三畑土谷家)に伝わる文書だということで、現在大分県立民族歴史博物館に所蔵されている。
県別一覧表(全国のつちや姓)
大分県のつちや姓
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